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大阪地方裁判所 昭和58年(ワ)6254号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

【判旨】

一原告及び訴外会社が原告主張のとおりの業務をする会社であること、被告は訴外会社の代表取締役であつた晃の義弟であり、訴外会社の取締役の地位にあつたこと、訴外会社は昭和五八年六月七日の手形の不渡を出して事実上倒産したことは、当事者間に争いがない。

二そこでまず、訴外会社と被告の関係等についてみるに、<証拠>によれば、以下の各事実を認めることができる。

晃は、昭和三〇年ごろから訴外会社の本店所在地において時計等の販売店を経営していたのであるが、これを大きく発展させるため株式会社組織にしようと考え、近所で眼鏡商を営んでいた弟忠雄及び奈良等でテレビ組立工場を経営していた義弟(妹の夫)の被告とともに、昭和五〇年四月、時計貴金属等の販売を目的とする訴外会社を設立し、晃が代表取締役に、他の二人が取締役に就任した。また、訴外会社の株主は、晃(出資額一二〇万円)、被告(同四五万円)、忠雄(同二七万円)、晃の父宮田態吉(同六万円)、被告の弟清家武俊、晃の叔父田矢恒、晃の義弟清水利夫(同各五〇〇〇円)の計七名であつたが、晃、被告、忠雄以外の者は現実に出資したわけではなく、名義上のみの株主にすぎなかつた。

訴外会社は、本店のほか、大手スーパーのイズミヤ株式会社(以下「イズミヤ」という)との間で委託販売契約を結び、イズミヤの店舗の一部を賃借して営業を行うことになり、昭和五〇年四月末には今福店、昭和五〇年七月には門真店、昭和五一年七月には千里丘店がそれぞれ開店し、営業を始めた。

ところが、訴外会社の経営についての晃、被告、忠雄の三者の意見に次第に食違いが生じ、協議してやつて行くことが困難になつたため、昭和五四年四月、まず忠雄が門真店の店舗賃借権、在庫商品、備品等を二〇〇〇万円で訴外会社から買取つて独立し、次いで被告が昭和五七年一月三一日、同じく訴外会社から千里丘店の在庫商品、店舗賃借権等を買受けて独立することになつた。被告の右買受代金は、在庫商品を二二〇〇万円位、店舗賃借権(営業保証金)を七四〇万円等と評価し、契約上は三〇〇〇万円とされたのであるが、右代金により支払うべき訴外会社の仕入代金や貸金債務の額が多かつたため、やむなく被告が出捐した額は計三八一一万余円にものぼつている。

なお、右独立に際し、忠雄及び被告はいずれも訴外会社の取締役を辞任する旨申出たのであるが、晃から迷惑はかけないから名義のみ残しておいてくれと頼まれたため、兄弟のことではあり、これを承諾したが、その後は右取締役として訴外会社の経営には全く関与せず、もちろん取締役の報酬等の支払を受けたこともない。

その後、訴外会社は本店と今福店で営業を続けてきたのであるが、忠雄も被告もいなくなつたため、実質上は全く晃の個人企業であり、しかも晃が妻以外の女性にうつつを抜かして訴外会社の経営に身を入れず、あまつさえその金策のため訴外会社の商品を持出すような有様となつたため、訴外会社の経営内容も悪化し、昭和五八年三月には、ついに物品税五〇〇万円を滞納したことにより、当局から今福店のイズミヤに対する営業保証金返還請求権を差押える旨の通知を受けるに至つた。ただ、イズミヤとの契約では、賃借人である訴外会社が他から差押えを受けたときには、前記委託販売契約は解除されることになつており、もしそのようなことになれば在庫商品も二束三文で手放さなければならず、また多額の負債を整理し急場を切り抜けるためにも、今福店を大至急に処分するより仕方がないこととなり、その相手として被告を見込み、右事情を話して頼み込んだ結果、被告も一旦は断つたものの結局これを承諾せざるをえなくなり、昭和五八年四月二〇日、千里丘店の場合と同じく今福店を訴外会社から買受ける契約を結んだ。

右売買代金は、在庫商品を二〇〇〇万円、備品を二〇〇万円と評価し、契約上は二二〇〇万円(ほかにイズミヤから訴外会社に返還されるべき営業保証金七九〇万円は、被告がイズミヤに代つて訴外会社に支払つている)とされたのであるが、千里丘店の場合と同じく、右代金により支払うべき訴外会社の仕入代金や借金等債務が多かつたため、被告は昭和五八年四月二〇日から同年五月三〇日までの間、右代金の支払として計二二二四万余円を晃や訴外会社の債権者等に支払つた。

右被告に対する千里丘店、今福店の売却譲渡については訴外会社の株主となつている者全員に知らされており、これらの者も右売却を承諾している。

被告は買受けた二店のイズミヤとの委託販売契約については、イズミヤの了解を得たうえ、訴外会社とイズミヤとの契約期間が満了した時点で改めて被告を当事者とする契約を結ぶこととし、昭和五八年四月一五日千里丘店につき、同年五月一六日今福店につき、それぞれイズミヤとの間で右委託販売契約を結んだ。

なお、千里丘店については、営業保証金は訴外会社時代と同じ七四〇万円であるが、営業場所が変り、また営業面積も狭くなつており、今福店の営業保証金八九〇万円については、前記のとおり、訴外会社に返されるべき営業保証金七九〇万円を被告がイズミヤに代つて支払つているため、右契約に際し、被告からイズミヤに支払われたのは、値上げされた差額の一〇〇万円のみであつた。

訴外会社は、今福店を被告に売却譲渡した結果、残つた営業店舗は本店のみとなつたが、昭和五八年四月下旬には四〇〇万円位をかけて本店店舗を改装し、商品も改めて原告らから三〇〇〇万円相当分位を仕入れて、同年五月初めごろ新装開店した。

ところが、晃(訴外会社)にはなお多くの負債が残つており、昭和五八年六月三日に支払期日が到来する手形の決済資金の用意ができない状態となつたため、前日の六月二日夜、忠雄、被告ら晃の身内の者が晃方に呼ばれて善後策の相談を受けたが、もはや被告らとしても晃を助ける何らの方策も持合せなかつた。

晃は昭和五八年六月三日早朝、自宅を出て姿を隠し、同月八日、博多市のホテルで自殺死体となつて発見された。

以上の各事実を認めることができる。

三原告は、千里丘店及び今福店は被告が訴外会社の商品を取込んで経営していると主張するが、右に認定のとおり、被告は右二店の在庫商品等を買受けたのであり、取込みの事実は認められない。

四次に、昭和五八年四月二〇日、訴外会社の全商品が被告に売渡された事実は認めることはできないが、今福店の商品等が二二〇〇万円で被告に売渡されたこと及び右売買代金は被告から訴外会社にすべて支払ずみであることは、右に認定したとおりである。

五また、原告は債務引受の主張もするが、本件全証拠によるもこれを認めることはできない。

六原告は、被告と訴外会社とが別人格であるとの主張はできないと言うが、前記認定のとおり、被告の営業は訴外会社とは全く別の独立したものであるから、右主張もまた理由がない。

七最後に商法二六六条ノ三の責任について検討するに、確かに、被告は訴外会社の取締役に就任していたのであるが、前記認定のとおり、昭和五七年一月、被告が訴外会社から独立した後は、訴外会社は実質上晃の個人会社となり、被告の取締役としての地位も名目上のものにすぎなくなつていたうえ、被告の二度にわたる商品等の買受についても、名義上の株主にすぎない者も含めた訴外会社の全株主がこれを承認していたというのであり、また、右商品等の譲渡が営業譲渡に当たるかについても、その営業場所の賃借関係も訴外会社とイズミヤとの契約は解消し、被告が改めてイズミヤとの契約を結び直しており(千里丘店においては賃借場所も訴外会社時代とは変わつている)、訴外会社の商品仕入先であつた原告との取引関係も被告に引継がれているわけでもなく、特に右商品売買が商法二五条の競業避止義務の効果を伴うことなどは当事者双方とも予期していなかつたことと思われるのであつて、右営業譲渡に当たるかは疑問であるばかりでなく、仮にこれを肯定するとしてみても、前記認定の事実関係によれば、少なくとも被告の取締役としての任務懈怠行為(監視義務違反)と原告の債権回収不能との間には因果関係を認めることはできないというほかはない。なお、<証拠>によれば、被告らは独立後も肉親としての立場から晃に対し、訴外会社の経営に協力し、忠告等をしてきたことも認められる。

ほかに、被告に対し商法二六六条ノ三の責任を負担させるに足りるような事情の存在を認めることはできない。

(福富昌昭)

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